埴輪を見に行く |
下野国分寺近くにある甲塚(かぶとづか)古墳から2004年に
出土した機織形(はたおりがた)埴輪を復元したもので、その公開が「下野薬師寺歴史館」で始まったというもの。
これは、見に行かねばなるまい・・・ということで、行って参りました。
実は、この下野薬師寺跡は2011年に訪れている。
この時は、下野市のボランティア・ガイドの方の案内で広い敷地を回らせてもらった。
創建は7世紀後期の持統天皇の時代だと言われていて、日本三戒壇の一つだった。
ちなみに、この薬師寺はあの弓削道鏡が左遷され、没した場所でもある。
その薬師寺跡の一画に「薬師寺歴史館」はある。
この歴史館、入場は無料。
中に入って、早速、埴輪を見る。
「でけぇ!」・・・これが、最初の感想であります。
冒頭の画像の左側と中の埴輪は一組で地機(じばた)と言い、高さが69㎝だそうだ。
右側の原始機(げんしばた)はそれよりも、一回りほど小さいが、それでも想像よりも大きい。
歴史館が創ったCGによれば、機を織る女性は実にファッショナブルで、赤い水玉の衣装を着ていたそうだ。
甲塚古墳は6世紀後半に築造されたという。
であるならば、1400年以上の時空を超えて、今我々の目前にある。
もっとも、この埴輪は2004年に出土し、それから長い年月をかけて復元されたもの。
埴輪が何のために作られたかは諸説あるけど、下記の文章が参考になるかも・・・。
※機を織るという行為は、「古事記」に太陽の女神である天照大御神が、神にささげる衣を服織女(はたおりめ)に織らせていた。という内容の記述があり、神聖なこととされていました。
現在でも伊勢神宮では、神御衣祭(かんみそさい)として神に和妙(にぎたえ)とよばれる絹織物と荒妙(あらたえ)とよばれる麻織物をお供えするための神事がおこなわれています。
【甲塚古墳出土機織形埴輪パンフレットより】
それから、近くにある栃木県立しもつけ風土記の丘資料館
では同じ甲塚古墳から出土した埴輪の展示が行われている。
しもつけ風土記の丘資料館に展示されている埴輪
こちらも大きいよ。
こういう公開には珍しく両展示会場とも撮影OK!!
機織形埴輪の薬師寺歴史館での公開は3月23日まで(月曜日定休)・・・興味のある方はお出かけください。