200年前の歩路句(ブログ)伊勢参り道中日記 7 |
妙義神社は、日本武尊、豊受大神、菅原道真公、権大納言長親卿を御祭神とする神社で、宣化天皇の二年(537)の創建と歴史は古いのですが、神仏分離以前は神仏混淆の地でした。
修験の地であったような気もしますが・・・・。
妙義神社波己曾(はこそ)社殿・旧本社で昭和44年上部神域より移築。
2011年、御本殿は平成19年の台風による土砂崩れの復旧工事で拝観は出来ませんでした。平成24年竣工したようです。
碓氷関所
碓氷関所では、「おじぎ石」に道中手形を置き、関所役人の検問を受けたようです。
その「おじぎ石」が残っています。
無事関所を通過した平松さん一行は、坂本宿で休憩します。
坂本宿
坂本宿には、やはり「芭蕉句碑」があり、平松さんはこれを見ています。
ひとつ脱いて
うしろにおひぬ
衣かへ
何度か坂本宿に行っているのですが、この句碑には気が付きませんでした。
坂本宿を過ぎると中山道一番の難所・碓氷峠に差し掛かります。
現在は、上越自動車道・国道18号線(碓氷バイパス)・旧碓氷峠(国道18号線)で車で軽井沢に辿り着くことが出来ますが、平松さんの道中では全く違う「旧中山道」を進みます。
横川駅あたりからの標高差800m以上…これは旅というよりは登山です。
ところで、碓氷第3橋梁というのをご存知ですか?
旧中山道が碓氷峠を横切り山中に分け入る1kmほど上方にあります。
「めがね橋」という愛称で知られ、吉永小百合さんのCM のロケ地にもなったフォトジェニックな一件であります。
2011年10月撮影
現在は、横川駅からこのめがね橋まで、約5キロのウォーキングコースになっています。
近くに行ったら一見のほどを・・・。例えば、軽井沢アウトレットの帰りに立ち寄ってみるなんていう手もありますね。
閑話休題(それはさておき)、登山ともいうべき道中で碓氷峠(旧中山道)を登りきると、上州と信州の境にある熊野神社に辿り着きます。
この熊野神社をカメラに収めて、帰宅して確認してみると長野県側の「熊野皇大神社」の画像がありません。どうやら撮り忘れたようです(泣)。
下の画像は群馬県側の「熊野神社」であります。
平松さんの日記を正確に読み取れませんが、熊野権現を参拝し、それから軽井沢に入り、これも難読ですが沓掛宿を通り、追分宿(これは間違いない)に泊まったと書かれているのだと思います。
今回は、「浅間山」のイラスト付きです。
最後に「石砂利多く・・・」とあります。浅間山の大噴火(天明三年・1783‥この道中の33年前)の名残なのでしょう。
この旅、まだ7日目です。
鬼押出しからの浅間山
坂本宿から碓氷峠(長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース)より許可を得て転載
※風太さんからのご指摘で判ったことがありました。
風太さんのコメント
後の文章。
此道追分入候、右之方者閥句。
婦支飛蓉、石者浅間の、野分哉。
(吹き飛ばす、石も浅間の、野分けかな。)
此道焼候節、吹き出し候。
石砂利多く行く。
追記。
「此道追分入候」の候は、御かも知れない。
「御右之方」に成るかも。
こんなところに芭蕉の句が隠れていました(笑)。私の読解能力がダメなだけですけど・・・。
あらためて、風太さんに感謝です。