200年前の歩路句(ブログ)伊勢参り道中日記 4 |
雪が降っていたようです。一時晴れてまた雪が降って積雪があったかもしれません。
(佐野宿出立町中程から入)佐野宿の中ほどから道を折れ、一行が向かったのは、田沼稲荷。①
一瓶塚稲荷神社(いっぺいづかいなりじんじゃ)と呼ばれるこの神社に行ったとき、偶然だったのか知っていたのか定かではありませんが、初午の日でした。②
名物は「しんこまんじゅう」らしいのですが、この日記には書いてないような・・・モドカシイことに読み取れませぬ。
門前は混雑していた、と書いてあるような気がするのですが・・・。
その次は足利鑁阿寺です。③
鑁阿寺は「ばんなじ」と読みます。
鑁阿寺はもともとは足利氏の館(やかた)であり、現在でも、四方に門を設け、寺の境内の周りには土塁と堀がめぐっており、鎌倉時代前後の武士の館の面影が残されている。(Wikipediaより)
「金剛山 仁王院 法華坊 鑁阿寺」という正式名称を持つ、真言宗大日派の寺院ですが、平松さんの日記には「鑁阿寺」という文字は見えません。「足利宿大日社」と書かれています。
「足利の大日様」が通称で、「鑁阿寺」というイカメシイ名で呼ぶことはあまりなかったようです。
御朱印もこの通り。
日記中にある「別当千手院」は現在の「足利幼稚園」の地にあったようです。
2009年11月撮影・本堂は修復中、大銀杏の左側は多宝塔。
2009年には修復中だった本堂も、今年(2013)、国宝に指定されました。
本堂
大日様の参拝を終えた一行は、いよいよ上野国(群馬県)に入ります。
この日は、太田宿泊。佐野宿から五里半④。