栗ごはん |
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秋の気配が濃厚な今日この頃であります。
皆様の中には、この「栗ごはん」を既に食された方も多いのではと推察するものでありますが、「秋の風物詩」といってもいい食べ物でもあります。
しかし、我が家のこの「栗ごはん」の中に入っている栗の実は、ちょっと訳ありというか、特別な品格を持った「マロン」なのであります。
高価なものではありませぬ。それどころか、無料であります。
それなのに、なぜに「特別な品格」なのか!?。
それは、採れた場所が別格なのであります。
唐突ですが、山縣有朋をご存じでしょうか?
あの激動の幕末の維新の時代を生き抜き、明治の元勲になった人物であります。
その、山縣有朋記念館が矢板市にあるのです。なぜかというと・・・・。
山縣有朋記念館は、山縣有朋の遺品や山縣文書など関係資料を収蔵展示する資料館。1999年開館[9]。栃木県矢板市の山縣農場敷地内にある。記念館の建物は小田原の古稀庵にあった伊東忠太設計になる木造洋館が関東大震災で被災した時、これを移築したもので、現在は栃木県指定有形文化財に指定されている。
山縣農場は元来第三種官有地で、天然林約150町歩、草山600余町歩の山野を、渋澤栄一氏が牧場経営を計画していたものを、山縣有朋が譲り受け、明治19年(1894年)正式に払下げとなり、以来移住者を受入れて開墾と植林に力を注ぎ、有朋のイデオロギーである”農は国家経済の基本”を自らこの地で実践しようとしたものでした。
篠原も畑となる世の伊佐野山 みどりにこもる杉にひのきに
この有朋の詠んだ歌のように篠の生い茂るばかりの荒地を水田と畑に開墾し、雑木山を植林して生産性のある農場に育てるために、明治17年(1884年)移住農家を招致する規則を作り、農家の次三男で土地を持てない人たちを募集しました。その結果、栃木県内外から44戸300余人が当地に移住して開墾事業に取り組みました。創業当時は伊佐野農場と呼ばれており、その状況は農場管理者であった森勝蔵が残した三巻からなる絵巻物『伊佐野農場圖稿』に詳しく記録されています。
その別邸の庭で採れたのが、我が家の「栗ごはん」の具なのであります(笑)。
ただ、栗の樹や、大量に落ちている栗の画像がありませぬ。栗の実拾いに夢中になりすぎて撮るのを失念しておりました(笑)。
ところで、2枚目の画像の狛犬は一対ではありません。一匹だけです。
これは、吽形の狛犬は皇居のなかにあり、それに対応する形で阿形の狛犬がこの場所にあるということなのですが、これはたぶんファンタジーだと思います。
それはそれとして、幕末、明治維新に活躍した志士たちに思いを馳せつつ「マロンライス」を味わい、庭で鳴く虫の音に包まれながら秋の夜は更けて行くのであります。
記念館の扉、この建物のそこかしこに山縣有朋のイニシャル「YA」をデザイン化したものがある。