天城峠に氷室があった! |
川端康成「伊豆の踊り子」文学碑
道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。私は二十歳、高等学校の制帽をかぶり、紺飛白の着物に袴をはき、学生カバンを肩にかけていた。一人伊豆の旅に出てから四日目のことだった。修善寺温泉に一夜泊り、湯ケ島温泉に二夜泊り、そして朴歯の高下駄で天城を登って来たのだった。
【川端康成「伊豆の踊り子」書き出し】
修善寺方面から下田に向かう国道414号線で、浄蓮滝を過ぎ、道の駅「天城越え」から約3.5km地点に旧道への入口がある。
車両がすれ違えぬほどの道幅だが、ゆっくり進むと左側の小高い場所に冒頭の画像の文学碑があった。
その文学碑を過ぎて程なく、「藤ヶ沢歩道口」との分岐があり「氷室園地」の看板も見える。
なだらかな傾斜を登って行くとありました、氷室が・・・。
しかし、製造法になると判らない。
一晩で10cmに成長した氷を板で区切られた池の底に沈め・・・とある。
10cm・・・・????
一晩で10cmはないだろうと思う(日光では一晩でせいぜい1cm)。それに、比重の軽い氷をどうやって「池の底に沈める」のだろう?重石でも乗せれば可能だろうが・・・。一晩で10cmに成長するなら二晩で20cm。これで切出しても天然氷は立派に成立する。・・・そうか、板で区切ってあるのだから切出しの必要はないか・・・いろいろな疑問があるが、この地に氷室が存在したことは疑うべきもない。
私は未読だが、松本清張の「天城越え」という作品にこの氷室が出てくるらしい。
静岡で印刷屋を営む小野寺のもとに、田島と名乗る老人が、県警の嘱託で「天城山殺人事件」という刑事調書の印刷を依頼しに来た。原稿を見て激しく衝撃を受けた小野寺は十四歳の頃を思い浮かべる。小野寺は十四歳のとき、母の情事を目撃し、それまで彼にとって、神であり恋人であり、亡き父を裏切った母が許せず、静岡にいる兄を訪ねて一人で天城越えの旅に出た。少年は素足で旅する若い娘ハナと出会い、並んで歩いた。少年は美しいハナに母の面影を感じる。ところが、道中、ハナは一人の土工に出会うと、無理矢理に少年と別れ、男と歩きだした。気になった少年が後を追うと、草むらの中で情交を重ねる二人を目撃する。その土工が殺された。ハナが容疑者として逮捕される。土工と歩いているところを目撃した者もおり、彼女は土工から貰ったと思われる金も持っていた。さらに、現場には九文半ほどの足跡があり、ハナの足も九文半だった。警察の取調べに対し、ハナは土工と関係して金を貰ったことは認めたが、殺しは否認した。売春宿の女だったハナは一文なしで逃げだし、金が必要だった。結局、ハナは証拠不十分で釈放された。彼女は真犯人を知っている様子だか、頑として口を割らず、事件は迷宮入りとなった。田島老人はそのときの刑事だった。「九文半の足跡を女のものだと断定したのが失敗でした。犯人は子供でした」と老人は語る。そして、犯人である子供の動機が分らないと続ける。犯人は、少年=小野寺であった。少年はハナと土工の情交を見て、母が犯されている……そんな思いが浮かんだ。ハナにも、少年と天城を肩を並べて歩いているうちに、彼の純粋な気持ちが伝わったのだろう。だから、目撃した事実を口にしなかったのだ。刑事だった老人は、三十年ぶりで小野寺が真犯人であるという推理に達し、印刷を依頼に来たのだ。しかし、もう時効であった。
九文半の足跡が残された場所が氷室のオガクズの上という設定らしい。今度、図書館にあったら読んでみよう。
この氷室は大正から昭和初期まで機能しており、中伊豆一帯でここで作られた天然氷が使われていたようだ。
しかし、まだ需要があっただろう昭和初期に、なぜ、氷室を閉鎖してしまったのか?今となっては判らない。
さて、天城峠旧道といえば、2001年に道路トンネルとしては初めて重要文化財の指定を受けた石造りの天城トンネル(天城山隋道)がある。
【川端康成・伊豆の踊り子】
氷室跡から約1kmにこのトンネルがある。
全長445.5m、明治三十七年(1904)完成。
このトンネルを越えて、「伊豆の踊り子」や主人公の20歳の一高生が下田方面に向かったのだ(もちろん架空の話)。
しかし、この「氷室園地」を歴史の深淵の中に埋もれさせてはならない。
そして、偶然ですが、今日(4日)、JR日光駅で「世界遺産と共に守られる日光天然氷」と題して講演が行なわれます。
- 時間/10:00~11:30
- 場所/JR日光駅2階ホワイトルーム
- 定員/40名
(注)1名様よりご参加いただけます。(入場無料)
是非、お出かけ下さい。