大日堂 |
長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ ・データベース より許可を得て転載
明治三十五年九月二十六日頃ヨリ雨降リ続キ 同月二十八日午前四時頃ヨリ暴風雨ニ変シ 同七時頃ヨリ一層烈敷強雨トナリ同九時頃ヨリ大谷川并ニ稲荷川 其他ノ諸川共出水シ~(後略)
【日光町風水害概況】
明治35年9月の大暴風雨は日光の各地に甚大な被害をもたらした。
大谷川(だいやがわ)河畔にあったこの大日堂も大増水した奔流に押し流されてしまった。そして大正8年にも大水害があり、残っていた地蔵堂も消滅してしまう。
現在、跡地は整備され、大日橋という歩道橋が対岸まで伸びている。
それにしても、明治35年以前のこの場所の写真を見ると、つくづく惜しいことをしたと思うのは私だけではないだろう。
往古は、この周辺を菩提ヶ原 と称し、大日如来の堂があった。
慶安二年(1649)、大楽院の恵海がこれを再建。美しい池のある庭園の中に堂があり、大日如来の石像が安置されていた。
【大日堂跡の説明板より抜粋】
左側に見える建物は「寮」と説明されている。
その「寮」の跡地あたりに建つ流失後発見されたり再建された石仏や句碑。