羽田沼 2008 |
芭蕉は桃雪が用意してくれた馬に跨り、県道72号線(旧陸羽街道)を進んで、野間というところで馬を帰したことになっている。その間はどの道を選んだのかわからない。野間まで直線的に進める道もあるし、現在の大田原市街をかすめる道もある。ただ、芭蕉の時代にどの道路が存在したのか?・・・・「曽良随行日記」に記載され現在も残っているのは、野間という地名と鍋掛という地名である・・・というか、野間と鍋掛が記載され、両方とも残っている。
角(覚)左衛門方ニ猶宿。雨降。野間ハ太田原ヨリ三里之内鍋かけヨリ五、六丁西。【曽良随行日記】
で、今回はこの「野間」の近くにある沼の話題である。
2006年3月撮影。
灌漑用の沼なので、芭蕉の時代にこの沼はなかったかもしれない。
羽田沼(はんだぬま)という。
白鳥の飛来地として有名な沼である。
先日、芭蕉の旧跡を見たついでにこの沼に行った時には、まだ十数羽しか白鳥を見ることが出来なかった。年が明ければ、数百羽単位で飛来するのだろうけど・・・。
過去の羽田沼その1
過去の羽田沼その2
過去の羽田沼その3
過去の羽田沼その4
一昔前までは白鳥の餌用に「くず米などを寄付してください」などという呼掛けがあったが、白鳥にあげた餌が原因で下流域の水質の汚染を呼び、ミヤコタナゴなどの生息などに悪影響を及ぼすということで、現在は白鳥への「餌やり」は禁止されている。
なにしろ、ここ数年羽田地区では「ミヤコタナゴ」の生息が確認されていない。
羽田ミヤコタナゴ生息地保護区における白鳥などへの給餌自粛について
ということなので、羽田沼の白鳥は、見学と、ルールを守った写真撮影(ワザと白鳥たちを脅かして飛立たせ、その姿を写そうとするバカヤロウもいるそうです)くらいにして、給餌はヤメましょう・・・という今日のエントリーでした。