片浦牛乳店 |
創業100年を迎えようとする日光でも指折りの老舗ということになる。
牛乳店としての創業は多分明治43年(1910)だろうと思われる。
なぜそんなことが部外者の私に判るかといえば・・・・
日光市史より
日光駅の近くで生まれ育った松原町の佐藤コウ(明治三十五年生まれ)は、
日光駅のすぐ東側に牛車軌道の荷扱所や事務所、人夫小屋などがあり、毎朝二時になると四十頭近い牛が古河鉱業の荷物を積んだトロッコを引いて荷扱所を出発する。牛を勇ませるためか豆腐屋が使うようなラッパを牛方が吹きながら。夜明け前の軌道をゴロゴロ進んで行ったことや、学校帰りに牛トロに乗せてもらったことなどが、夢のように思い出される。牛車軌道で物資を輸送したのは、片浦(現在の片浦牛乳)・小松・五十嵐・仁平などの下請け業者たちで、それぞれに十頭ほどの牛をかっていた。
その牛車軌道も明治43年(1910)の日光電気軌道の開通で姿を消す。そして牛車軌道業者のある者は電気軌道の運転手に、片浦家の場合は牛乳店にその姿を変えたのだ。
その片浦牛乳店はいまや店名をフードピア日光と名を変え、牛乳ばかりでなく多くの食材を扱う総合食品店にと変貌を遂げている。変貌を遂げ発展をし続けているのだが、伸び悩んでいるのは、現当主の髪の毛・・・・・(失礼)。
先日、そのフードピア日光を訪れた時に、見せてくれたのが冒頭の↑写真である。現当主のご尊父が写っているとのことだから昭和10年~20年前半の写真と思われる。
日光・宇都宮道路から御幸町に続くバイパスも、この頃は存在しないし、画像の右手は人家もまれな広大な梅林があったそうだ。
後日、現当主の案内で撮影現場と思われる場所に行ったが、まさに「ここ」という場所は写真右下に写りこんでいる杉の木が成長し、撮影不可。それではと、数メートル左手で撮ったのが下の画像である。
フードピア当主殿、今度はその蔵の中の探検ですね!
このエントリーをご覧になった方で古い日光の写真をお持ちの方・・・差し支えなければお知らせ下さい。取材に行きます。