2005年 09月 28日
オランダ灯籠・その2 |
平成十二年(2000)は、オランダと日本の国交が始まって400年の節目の年であった。
慶長五年(1600)、オランダ船リーフデ号が豊後(大分県)の臼杵(うすき)の黒島に漂着したことで、オランダとの国交が始まった。そのリーフデ号の航海長であったウイリアム・アダムス(三浦安針)、ヤン・ヨースチンらは、徳川家康の信任を得て外交顧問となり、ヨーロッパとの交易に尽力した。
寛永十七年(1640)、オランダ(東インド会社)はスタンド型灯架とブラケット型灯架、そして望遠鏡を家光に献上する。スタンド型灯架は、老中松平伊豆守(信綱)の屋敷で披露されたあと、すぐに日光に運ばれ露天のまま陽明門の前に置かれた。
その蓮灯籠と呼ばれるスタンド型灯架が、日蘭国交400年の平成十二年、オランダに里帰りした。
360年振りの帰国であった。
アムステルダム国立美術館で、4月15日から9月17日まで「黄金時代の栄華」という17世紀のオランダ美術の絵画をはじめ、イギリス・ドイツ・ロシア等世界各国からの芸術作品を約200点集めた展覧会に出展された。
外遊(?)を終え再び陽明門の前に戻ってきたのは9月30日のことである。
そして、この灯籠もヨースト・ヘリッツゾーンが製作したものである。
※カーソルを置いて、クリックすると画像が拡大します。
慶長五年(1600)、オランダ船リーフデ号が豊後(大分県)の臼杵(うすき)の黒島に漂着したことで、オランダとの国交が始まった。そのリーフデ号の航海長であったウイリアム・アダムス(三浦安針)、ヤン・ヨースチンらは、徳川家康の信任を得て外交顧問となり、ヨーロッパとの交易に尽力した。
寛永十七年(1640)、オランダ(東インド会社)はスタンド型灯架とブラケット型灯架、そして望遠鏡を家光に献上する。スタンド型灯架は、老中松平伊豆守(信綱)の屋敷で披露されたあと、すぐに日光に運ばれ露天のまま陽明門の前に置かれた。
その蓮灯籠と呼ばれるスタンド型灯架が、日蘭国交400年の平成十二年、オランダに里帰りした。
360年振りの帰国であった。
アムステルダム国立美術館で、4月15日から9月17日まで「黄金時代の栄華」という17世紀のオランダ美術の絵画をはじめ、イギリス・ドイツ・ロシア等世界各国からの芸術作品を約200点集めた展覧会に出展された。
外遊(?)を終え再び陽明門の前に戻ってきたのは9月30日のことである。
そして、この灯籠もヨースト・ヘリッツゾーンが製作したものである。
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by nikko0427
| 2005-09-28 02:58
| 日光の薀蓄