会津4 |
西郷頼母という人物がいる。 「お家(藩)が壊滅する」 もちろん、このことは容保自身がわかっており、幕府の統制力がなくなっていることも知っていた。 就任一年後、頼母は京に入り、守護職辞任を容保に迫る。しかし、その結果、頼母は家老職を免ぜられてしまうのである。
「会津の大石内蔵助」と、他藩の人々からも評されたらしい。有能な人であったらしい。
容保が「京都守護職」という京都駐屯軍の将としての要請があったと聞いた時、頼母は仰天した。
頼母は会津若松から騎馬を飛ばし、江戸藩邸に入って容保に要請を受けぬよう諫止した。
しかし「御家訓」がすべてを決した。