2005年 04月 19日
弥生祭19・鹿皮 |
清和天皇(858~876)の頃、日光山麓に万事万三郎(磐司磐三郎)という弓の名手がいて、この人物が狩猟集団「マタギ」の始祖と言われている。
東北地方のマタギの巻物「山立根本之巻」には、万事万三郎の名が日光権現とともに記載されている。
古くから狩猟集団「マタギ」と二荒山神社の関係は濃密であったと考えられる。
さて、弥生祭の期間中、拝殿の一角に、奉納された鹿の皮が、祢々切丸・瀬登太刀・柏太刀とともに安置される。
もともと、久次良の猟師が毎年奉納していたものらしいが、今は地元の猟友会の奉仕なのだろう。
鎌倉時代になって、民間にも仏教が広まるにつれ、神への供物としての獣肉・獣皮の奉納という形態は廃れていった。
ただ、諏訪大社の御頭祭などが、特殊な例として残っている。
マタギが山入りするときには、数週間も前から女人との接触を断ち、水垢離を取り、身を清めてから猟場に入る。
ひとたび獲物が獲れた場合は、神に感謝を捧げる。宗教と生業(なりわい)の違いがあるにせよ、まるで修験僧のような態度で山に接しているのだ。
だから、弥生祭に捧げられる「鹿皮」は、仏教普及以前の残滓というよりは、「二荒山神社とマタギ」の深い関わりを示すものに思えてならない。
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弥生祭シリーズ
日光社寺案内
東北地方のマタギの巻物「山立根本之巻」には、万事万三郎の名が日光権現とともに記載されている。
古くから狩猟集団「マタギ」と二荒山神社の関係は濃密であったと考えられる。
さて、弥生祭の期間中、拝殿の一角に、奉納された鹿の皮が、祢々切丸・瀬登太刀・柏太刀とともに安置される。
もともと、久次良の猟師が毎年奉納していたものらしいが、今は地元の猟友会の奉仕なのだろう。
鎌倉時代になって、民間にも仏教が広まるにつれ、神への供物としての獣肉・獣皮の奉納という形態は廃れていった。
ただ、諏訪大社の御頭祭などが、特殊な例として残っている。
マタギが山入りするときには、数週間も前から女人との接触を断ち、水垢離を取り、身を清めてから猟場に入る。
ひとたび獲物が獲れた場合は、神に感謝を捧げる。宗教と生業(なりわい)の違いがあるにせよ、まるで修験僧のような態度で山に接しているのだ。
だから、弥生祭に捧げられる「鹿皮」は、仏教普及以前の残滓というよりは、「二荒山神社とマタギ」の深い関わりを示すものに思えてならない。
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by nikko0427
| 2005-04-19 10:33
| 弥生祭