2005年 02月 19日
寂光(2) |
上左:寂光寺跡、杉木立の中にも、堂宇がならんでいた。
上中:若子神社の鳥居、ここから急傾斜の石段になる。
上右:石段途中から。
下:最上段にある若子神社拝殿。この後に本殿がある。
この寂光寺を開いた空海は、宝亀五年(774)讃岐(香川県)で生まれ、三十歳の頃唐に渡り密教の奥義を伝授され、日本に戻ってからは超人的なエネルギーで全国各地を巡ったことになっている。いわゆる「弘法伝説」である。ただ、空海の詩文集「性霊集(しょうりょうしゅう)」に「沙門勝道歴山水塋玄珠碑并序」「しゃもんしょうどうさんすいをめぐりてげんしゅをみがくひ」とあることから、少なくとも日光には来ているのでは・・・・と思いたい。
確信を持って言えることがひとつある。
それは、この寂光寺は修験道・山伏たちのベース基地のような存在であったということだ。このことは日光史に関する本に書いてあるのを見たことすら無いのだが、不動明王を本尊とし、空海を開基と仰ぎ、現在でもこの寂光寺跡を通り一番上部にある建物の脇を抜けると、女峰山へ続く登山道である。
江戸時代までは、この寂光寺、隆盛を誇ったようだが、例の「神仏分離令(廃仏毀釈)」により、「若子(わかこ・じゃっこ)神社」と名を改めた。祭神は下照姫命(したてるひめのみこと)である。
この項続く
by nikko0427
| 2005-02-19 12:25
| 日光あれこれ