2005年 01月 10日
どんど焼き |
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画像提供:MILKYさん
「ホーネンだ、マンサクだ、こんどこそホントにフッタケルぞ!」
太鼓を打ち鳴らしながら、節を付け、父の生家があった細尾の部落を練り歩いた記憶がある。上記の囃し言葉を覚えているのが我ながら驚異だが、昨日MILKYさんから送られてきた画像を見た瞬間、デジャヴのように浮かんで来た。
どんど焼は、日光では1月14日に行われていた。(「日光の故実と伝説」による)
その著によれば「どんどん焼き」と呼ばれていた。
青字:「日光の故実と伝説」よりの抜粋
どんどん焼きの本名は「道陸神 」で、これは「道祖神」がナマッた言葉といわれる。
若者講の年中行事だったらしく、
例年七月になると、子供達は「竹買い」と称し、各戸から金を集め(二、三銭程度)今市近在まで竹買いにでる。(中略)
九月から十月にかけ、何れの道陸神(竹)にも「奉納、道陸尊神、町内安全、家内安全」と書いた細長い旗が秋空高く翻り、美しい数本の梵天で道陸神の周囲が飾られる。それから、翌年一月まで、数ヵ月の間、各町の子供達は道陸神を中心とし次のような遊びが展開される。(中略)
遊びというのは、よその道陸神を立てた支柱やその縄を切ったり、竹に傷をつけたり、旗や梵天を盗んでくることである。昼でも夜でも構わない、人知れず上手にやるのである。万一見付かると一大事。一方、どの町でも、そののようなイタズラをされては大恥辱となるので、警戒、おさおさ怠りない。この為、子供達の団結心、勇気、機知等の徳目は大いに養われたが一面、町々の平和を破り殺伐の気風も漲った。
気合が入っているのである。
一月十四日には道陸神の竹を各町とも大谷川原の所定の場所に立てる。この時、「竈(かま)」といって竹の根本の辺を新年の飾り松や注連(しめ)の類、積み重ね、翌十五日の早朝これを燃やす。
正確には、1月15日に行われていたことになるのだが、これは旧成人の日と何か関係があるのだろうか?
現在、日光では昼間にこの「どんど焼き」が行われているようだが、せめて夕方、日が沈んでからのほうが燃え盛る火の美しさを愛でるにはふさわしいと、焚火愛好家の私は思ったりするのだ。
※この「どんど焼き」にはダンゴがつきもので木の枝の先に付けたダンゴが縁起物になって、このダンゴをドンド焼きの火に翳して焼いたものを食べると無病息災であると言われたような気がするが、この「ダンゴの木」が判らない。
日光ではあくまで「ダンゴの木」であって、他の呼び方は無い。それでNetで調べてみたら、どうやら「ミズキ」という木らしい。
※長野のたけぱんさんからのコメントによると、彼の地ではダンゴのことを繭玉というらしい。金沢あたりでは「どんど焼き」とは言わず「左義長(さぎちょう)」と言うらしい。地方によって、いろいろなのである。
※今日(12日)、細尾に住む年長の従兄弟から電話があった。先日、この記事をUPした時に「ダンゴの木」の名を尋ねた時には「あれはダンゴの木!!」という答えだったのだが、詳しい人に聞いてくれたらしい。それによると、日光のダンゴの木は2種類あって、赤っぽいのが「ミズキ」、白っぽいのが「シロハギ」というらしい。
画像提供:MILKYさん
「ホーネンだ、マンサクだ、こんどこそホントにフッタケルぞ!」
太鼓を打ち鳴らしながら、節を付け、父の生家があった細尾の部落を練り歩いた記憶がある。上記の囃し言葉を覚えているのが我ながら驚異だが、昨日MILKYさんから送られてきた画像を見た瞬間、デジャヴのように浮かんで来た。
どんど焼は、日光では1月14日に行われていた。(「日光の故実と伝説」による)
その著によれば「どんどん焼き」と呼ばれていた。
青字:「日光の故実と伝説」よりの抜粋
どんどん焼きの本名は「
若者講の年中行事だったらしく、
例年七月になると、子供達は「竹買い」と称し、各戸から金を集め(二、三銭程度)今市近在まで竹買いにでる。(中略)
九月から十月にかけ、何れの道陸神(竹)にも「奉納、道陸尊神、町内安全、家内安全」と書いた細長い旗が秋空高く翻り、美しい数本の梵天で道陸神の周囲が飾られる。それから、翌年一月まで、数ヵ月の間、各町の子供達は道陸神を中心とし次のような遊びが展開される。(中略)
遊びというのは、よその道陸神を立てた支柱やその縄を切ったり、竹に傷をつけたり、旗や梵天を盗んでくることである。昼でも夜でも構わない、人知れず上手にやるのである。万一見付かると一大事。一方、どの町でも、そののようなイタズラをされては大恥辱となるので、警戒、おさおさ怠りない。この為、子供達の団結心、勇気、機知等の徳目は大いに養われたが一面、町々の平和を破り殺伐の気風も漲った。
気合が入っているのである。
一月十四日には道陸神の竹を各町とも大谷川原の所定の場所に立てる。この時、「竈(かま)」といって竹の根本の辺を新年の飾り松や注連(しめ)の類、積み重ね、翌十五日の早朝これを燃やす。
正確には、1月15日に行われていたことになるのだが、これは旧成人の日と何か関係があるのだろうか?
現在、日光では昼間にこの「どんど焼き」が行われているようだが、せめて夕方、日が沈んでからのほうが燃え盛る火の美しさを愛でるにはふさわしいと、焚火愛好家の私は思ったりするのだ。
※この「どんど焼き」にはダンゴがつきもので木の枝の先に付けたダンゴが縁起物になって、このダンゴをドンド焼きの火に翳して焼いたものを食べると無病息災であると言われたような気がするが、この「ダンゴの木」が判らない。
日光ではあくまで「ダンゴの木」であって、他の呼び方は無い。それでNetで調べてみたら、どうやら「ミズキ」という木らしい。
※長野のたけぱんさんからのコメントによると、彼の地ではダンゴのことを繭玉というらしい。金沢あたりでは「どんど焼き」とは言わず「左義長(さぎちょう)」と言うらしい。地方によって、いろいろなのである。
※今日(12日)、細尾に住む年長の従兄弟から電話があった。先日、この記事をUPした時に「ダンゴの木」の名を尋ねた時には「あれはダンゴの木!!」という答えだったのだが、詳しい人に聞いてくれたらしい。それによると、日光のダンゴの木は2種類あって、赤っぽいのが「ミズキ」、白っぽいのが「シロハギ」というらしい。
by nikko0427
| 2005-01-10 09:59
| 日光あれこれ