2005年 01月 08日
釈迦堂界隈 |
例えば、こんな馬鹿なことがありうるのかという出来事が、歴史上のある時期におこっているんです。というのは、現在の奈良公園なんですが、あそこには鹿がいて、芝生があって、雌松や雄松が点在している。非常に気分のいい環境なんです。あれは、かつては興福寺の境内だったんですね。興福寺は藤原氏の氏寺ですから、日本最大のお寺ですよ。 それが、明治の廃仏毀釈のときに京都から「今日から仏教は廃止である。僧は還俗せよ、もし希望があれば春日神社の神官にしてもいい」という一片の書きつけが行っただけで、仏様を薪にしてしまった。本来、へんぺんたる法令よりも思想のほうがはるかに上であり、宗教のほうが上であり、モラルは上であるはずなのに、出来上がったばかりの京都太政官の命令だけで仏様を燃やしてしまう。魂を密教の作法で抜いておいて、薪にして風呂をわかす。これを仏風呂といっていた。
『八人との対話・日本人と宗教」 司馬遼太郎
この、神仏分離令(廃仏毀釈)の影響を、日光ももちろん受けた。
それどころか、その余燼が未だに燻ぶり続けていると言っていい。
それにしても、とも思う。江戸時代のままの日光の姿を現在も残していたら、それは素晴らしいものだったに違いない。
そのことを彷彿とさせる一画がここ釈迦堂界隈である。
国道120号線がすぐ傍を走り、隣はアスファルトで固められた駐車場になっているにもかかわらず、この釈迦堂一帯は閑静である。
明日は、その変革について書いてみようと思う。
by nikko0427
| 2005-01-08 15:02
| 日光の薀蓄