2004年 11月 16日
修験道1 |
※カーソルを置いて、クリックすると画像が拡大します。
修験ということについて考えてみる。
役小角(えんのおづぬ)が始祖ということになっているのだが、この山岳列島に人間が存在し始めた当初から人々は聳え立つ山々に霊験の存在を感じ、畏れと敬いを共存させながら生きていたのに違いないと思う。
それは「神」が山に存在したということでもあるし、山そのものが「神」であるということにもなる。
外来の宗教である仏教が伝わり、日本的な変革をし、在来の「神」との習合を遂げるに及んで修験が芽生えた。
その後、密教・道教・山岳信仰を複雑に絡み合わせ、また、多岐に渡って派生し修験道は全国的な広がりをみせる。
日光における修験は、勝道上人に始まる。
日光の輪王寺、二荒山神社の礎を築き、男体山に十五年の歳月をかけて登頂を果たし日光開山の祖といわれている。
その勝道上人は古峰神社で修行をした。
伝えられるところによると、上人とその弟子達は、出流山(いづるさん・現栃木市)から永野、粕尾、粟野の山々を巡り大剣峰(横根山)に至り、三昧岩から大岩山、地蔵岳、薬師岳と修行し、薬師より東の尾根伝いに進み三の宿(三番目の宿の意)、滝ケ原峠、鳴虫山と下り大谷川(だいやがわ)の岸に到着した。
そして、上人たちが大谷川の急流を渡りあぐねていたとき、祈りによって現れたのが深沙大王で、手に持った青と赤の蛇を投げると蛇橋になったが、鱗が気持悪くて渡れない。その時、山菅(やますげ)が蛇を覆ったので渡ることができたのである。
これが、現在修理中の神橋の起源である。
上人一行は対岸に小庵を結び、後に一寺を建立して四本龍寺と名付けた。これが日光山(輪王寺)の起こりである。
※画像左、勝道上人銅像、中 古峰神社一の鳥居、右 古峰神社
by nikko0427
| 2004-11-16 17:32
| 日光の修験