陽明門の石段の下、向かって右側にあるのが伊達政宗公奉納の南蛮鉄灯籠である。伊達六十二万石の3年分の予算をかけて鋳造したものとか。そして、この日光の灯籠を作る前の試作品が、松島の瑞巌寺境内にあるという。私の想像では一対(2本)の灯籠だと思っていた。しかし、去年(2003年)に実際に瑞巌寺を訪れ、1本しか残っていないことを確認した。これは多分、最初一対であったものが、海が近いこともあり、塩害で朽ちてしまった結果ではないか。右の画像が瑞巌寺のものであるが、火舎の部分が青銅に見える。この部分も錆びて朽ちた後、取り替えたものではないか。
この瑞巌寺の灯籠は元和4年(1618)に、伊達政宗の命により早山弥兵衛が鋳造したもの。伊達政宗が朝鮮の役の時に持ち帰ったという「臥龍梅」の前にひっそりと佇んでいる。
日光の南蛮鉄灯籠も早山弥兵衛が作ったものであろう。
日光のものは今でも東照宮の一等地(?)で堂々とその存在を主張している。