2005年 06月 16日
天王祭2 |
現在、二荒山神社には「茅の輪」が設置され、それを潜ることにより「災厄を逃れる」としている。
この「茅の輪」と「天王祭」は無関係ではなかったのだ。
昔、蘇民将来ソミンショウライと巨旦将来コタンショウライの兄弟がおり、兄の巨旦将来は富栄えていたにも関わらず南海を旅していたスサノオノミコトの宿を断りました。一方、貧しかった蘇民将来は、貧しいながらもスサノオノミコトに宿を提供して、温かくもてなしたそうです。朝になり、スサノオノミコトは自分の名を明かした上で、「後世に疫病が流行したときは蘇民将来の子孫と云って、茅の輪を腰に付けていれば災いから免れる」と云い残して立ち去ったところ、後に疫病が流行り、巨旦将来の子孫は死に絶えましたが、蘇民将来の子孫は疫病から免れて後々まで繁栄していると云います。
この蘇民将来の信仰と午頭天王の信仰が一体となって、スサノオノミコトのことをゴズテンノウとも云い、御祭神スサノオノミコトの、災いを除き幸福サイワイを得る、ご加護を願う八坂神社の信仰が永く続いているのだと云います。
これは、無関係どころか同じ信仰に基づくものと言っていい。
そして、日光市史によれば、天王様の時は
カワリモノ(特別な食品)などをつくり祝う。
としているが、京都の場合は「鱧(ハモ)」がそれなのだろうか?
日光では、何を作るのですか、Ichiro君?
※カーソルを置いて、クリックすると画像が拡大します。
日光社寺案内
この「茅の輪」と「天王祭」は無関係ではなかったのだ。
昔、蘇民将来ソミンショウライと巨旦将来コタンショウライの兄弟がおり、兄の巨旦将来は富栄えていたにも関わらず南海を旅していたスサノオノミコトの宿を断りました。一方、貧しかった蘇民将来は、貧しいながらもスサノオノミコトに宿を提供して、温かくもてなしたそうです。朝になり、スサノオノミコトは自分の名を明かした上で、「後世に疫病が流行したときは蘇民将来の子孫と云って、茅の輪を腰に付けていれば災いから免れる」と云い残して立ち去ったところ、後に疫病が流行り、巨旦将来の子孫は死に絶えましたが、蘇民将来の子孫は疫病から免れて後々まで繁栄していると云います。
この蘇民将来の信仰と午頭天王の信仰が一体となって、スサノオノミコトのことをゴズテンノウとも云い、御祭神スサノオノミコトの、災いを除き幸福サイワイを得る、ご加護を願う八坂神社の信仰が永く続いているのだと云います。
これは、無関係どころか同じ信仰に基づくものと言っていい。
そして、日光市史によれば、天王様の時は
カワリモノ(特別な食品)などをつくり祝う。
としているが、京都の場合は「鱧(ハモ)」がそれなのだろうか?
日光では、何を作るのですか、Ichiro君?
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日光社寺案内
by nikko0427
| 2005-06-16 05:41
| 日光の祭