2005年 03月 10日
路面電車・日光軌道8 |
※カーソルを置いて、クリックすると画像が拡大します。
左:現在の田母沢
右:昭和40年当時の田母沢(画像提供:東高円寺写真館)
田母沢 という日光軌道の停車場があった。
上りと下りの交換もここで行われたし、実を言うと、このあたりで日光の文化というか、生活圏が二分する場所でもあった。
ここから馬返方面は、古河電工日光精銅所文化圏だったし、日光駅方面は二社一寺文化圏であった。それから、子供達が通う中学校も田母沢を境にして、日光中と日光東中に分かれていた。
この田母沢には、日光御用邸跡もあって、現在では整備され「日光御用邸記念公園」になっている。
それから、釈迦堂や殉死の墓もここである。
寂光もここから田母沢という沢沿いに2.5kmの距離にある。
年月とともに、道路は整備され、車の交通量も増え続けたが、御用邸側にある石垣だけは変っていない。
日光軌道シリーズ
左:現在の田母沢
右:昭和40年当時の田母沢(画像提供:東高円寺写真館)
上りと下りの交換もここで行われたし、実を言うと、このあたりで日光の文化というか、生活圏が二分する場所でもあった。
ここから馬返方面は、古河電工日光精銅所文化圏だったし、日光駅方面は二社一寺文化圏であった。それから、子供達が通う中学校も田母沢を境にして、日光中と日光東中に分かれていた。
この田母沢には、日光御用邸跡もあって、現在では整備され「日光御用邸記念公園」になっている。
それから、釈迦堂や殉死の墓もここである。
寂光もここから田母沢という沢沿いに2.5kmの距離にある。
年月とともに、道路は整備され、車の交通量も増え続けたが、御用邸側にある石垣だけは変っていない。
日光軌道シリーズ
by nikko0427
| 2005-03-10 11:14
| 日光軌道