2005年 01月 21日
路面電車・日光軌道4 |
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左はJR日光駅と東武日光駅の間に残る日光軌道跡。(2005年)
右は横手付近を走る日光軌道(画像提供:東高円寺写真館)
昭和39年2月
子供の頃「忍者」に憧れなかった男は私と同じ世代にはいない。(と思う)
小学校も3.4年の頃になると、チャンバラだけでは物足りなくなり、我々は忍者を志した。
近所の悪ガキと連れ立って、大谷川を渡ると、そこは馬返に向かう日光軌道の線路がある国道120号線である。
我々の手には家の道具箱から持ち出した大きめの釘が握られている。
全部では目立ってしまうので、2.3本の釘を線路の上に並べ、我々は木立の中に身を潜める。やがて、のんびりとした音と共に電車が近づいてくる。
電車が通過し、見えなくなると悪ガキ共は線路に走りより、平たくなった釘を回収し、新たに釘を線路の並べるのだった。
今、考えると、これは立派な犯罪であるし、電車の運転手は知っていたのだと思う。時々、その悪さがバレて、運転席から怒鳴られた悪ガキもいたという噂も聞いた。
しかし、この「釘置き」が原因で事故は起こらなかったし、運転手も「また、やってやがる」と、苦笑とともに大目に見てくれていたのだろう。そういう時代だった。
さて、加工済みの釘を家に持ち帰った我々は、頭の部分をヤスリで尖らせ他の釘と90度の角度で合わせると針金で固定した。
十字手裏剣である!
昭和三十七年(1962)10月から、「隠密剣士」というTV時代劇が始まった。
「月光仮面」だった大瀬康一扮する秋草新一郎と、牧冬吉の霧の遁兵衛がメインの忍者ものであったが、その番組の影響で世の中の男の子が忍者になりたがった。
しかし、その頃になると私自身が「ゴッコ」の世界からは、足を洗おうとしていたのだ。
日光軌道シリーズ
左はJR日光駅と東武日光駅の間に残る日光軌道跡。(2005年)
右は横手付近を走る日光軌道(画像提供:東高円寺写真館)
昭和39年2月
子供の頃「忍者」に憧れなかった男は私と同じ世代にはいない。(と思う)
小学校も3.4年の頃になると、チャンバラだけでは物足りなくなり、我々は忍者を志した。
近所の悪ガキと連れ立って、大谷川を渡ると、そこは馬返に向かう日光軌道の線路がある国道120号線である。
我々の手には家の道具箱から持ち出した大きめの釘が握られている。
全部では目立ってしまうので、2.3本の釘を線路の上に並べ、我々は木立の中に身を潜める。やがて、のんびりとした音と共に電車が近づいてくる。
電車が通過し、見えなくなると悪ガキ共は線路に走りより、平たくなった釘を回収し、新たに釘を線路の並べるのだった。
今、考えると、これは立派な犯罪であるし、電車の運転手は知っていたのだと思う。時々、その悪さがバレて、運転席から怒鳴られた悪ガキもいたという噂も聞いた。
しかし、この「釘置き」が原因で事故は起こらなかったし、運転手も「また、やってやがる」と、苦笑とともに大目に見てくれていたのだろう。そういう時代だった。
さて、加工済みの釘を家に持ち帰った我々は、頭の部分をヤスリで尖らせ他の釘と90度の角度で合わせると針金で固定した。
十字手裏剣である!
昭和三十七年(1962)10月から、「隠密剣士」というTV時代劇が始まった。
「月光仮面」だった大瀬康一扮する秋草新一郎と、牧冬吉の霧の遁兵衛がメインの忍者ものであったが、その番組の影響で世の中の男の子が忍者になりたがった。
しかし、その頃になると私自身が「ゴッコ」の世界からは、足を洗おうとしていたのだ。
日光軌道シリーズ
by nikko0427
| 2005-01-21 10:22
| 日光軌道