2004年 11月 25日
延命坂・右衛門の泣地蔵 |
大猷院の前に常行堂と法華堂がある。
常行堂と法華堂を繋ぐ渡り廊下の間を抜けると、けっこう急な坂道がある。これが「延命坂」である。
この坂は天海大僧正・慈眼大師を祀る慈眼堂に続く坂道でこの季節は降り積もる落葉で覆われている。
坂を少し登っていくと、右手に「右衛門の泣地蔵」がある。確かにそういわれてみると泣いているようにも見える。
寛永年間のことである。松平右衛門大夫正綱は、幕府から三仏堂を「日本一の大伽藍にしろ」と命令された。しかし、この時、東照宮大造替や幾多の社寺の造改築で幕府の財政は逼迫していた。だから、もし三仏堂を日本一の大伽藍にするには庶民と諸大名の負担は甚大なものになる。そこで、正綱は「日本一」を「日光一」と聞き違えたと言って現在の伽藍にした。落成後、三代将軍家光は三仏堂に参拝し、予想以下の伽藍だったので、大いに立腹し、きびしく正綱を叱りつけた。正綱は「日本一を日光一と聞き誤りました。申し訳ありません」と、あやまった。
しかし、家光は後になって、幕府の財政の逼迫を聞いて、正綱の心やりに感動した。
正綱没後、一山の僧徒は彼の供養のために、石地蔵を刻み、御堂山に祀った。それが右衛門の心に響いてか、地蔵の顔が泣いている。
この、延命坂は閑静に包まれている。それもそのはずで常時拝観ができるという場所ではないのだ。
どうしても「慈眼堂」までの坂道を辿ってみたい方は「大猷院」(0288-53-1567)に問い合わせてみるといい。
多分、大丈夫だと思う。
参考文献:「日光の故実と伝説」星野理一郎著
常行堂と法華堂を繋ぐ渡り廊下の間を抜けると、けっこう急な坂道がある。これが「延命坂」である。
この坂は天海大僧正・慈眼大師を祀る慈眼堂に続く坂道でこの季節は降り積もる落葉で覆われている。
坂を少し登っていくと、右手に「右衛門の泣地蔵」がある。確かにそういわれてみると泣いているようにも見える。
寛永年間のことである。松平右衛門大夫正綱は、幕府から三仏堂を「日本一の大伽藍にしろ」と命令された。しかし、この時、東照宮大造替や幾多の社寺の造改築で幕府の財政は逼迫していた。だから、もし三仏堂を日本一の大伽藍にするには庶民と諸大名の負担は甚大なものになる。そこで、正綱は「日本一」を「日光一」と聞き違えたと言って現在の伽藍にした。落成後、三代将軍家光は三仏堂に参拝し、予想以下の伽藍だったので、大いに立腹し、きびしく正綱を叱りつけた。正綱は「日本一を日光一と聞き誤りました。申し訳ありません」と、あやまった。
しかし、家光は後になって、幕府の財政の逼迫を聞いて、正綱の心やりに感動した。
正綱没後、一山の僧徒は彼の供養のために、石地蔵を刻み、御堂山に祀った。それが右衛門の心に響いてか、地蔵の顔が泣いている。
この、延命坂は閑静に包まれている。それもそのはずで常時拝観ができるという場所ではないのだ。
どうしても「慈眼堂」までの坂道を辿ってみたい方は「大猷院」(0288-53-1567)に問い合わせてみるといい。
多分、大丈夫だと思う。
参考文献:「日光の故実と伝説」星野理一郎著
by nikko0427
| 2004-11-25 05:23
| 日光あれこれ