2004年 10月 22日
黒門 |
ほとんどの人が何となく通り過ぎてしまうが、この「黒門」、歴史は古い。天海大僧正の創建で、守澄法親王(後水之尾天皇の第三皇子)が入山したときに輪王寺(この時代は満願寺と言われた)本坊の表門になった。輪王寺本坊は、現在の輪王寺宝物殿の場所にあったが、明治4年火災で焼失。唯一焼け残ったのがこの「黒門」だったのだ。国の重要文化財。
堂者引きの子孫たち(案内組合)が、毎日交代で黒門の周りの掃除をやっている。これを「黒門番」と称している。
「黒門番」は風の強かった翌日などは大変である。杉の葉や砂を竹箒で浄めていく。なんとなく、仏弟子になれそうな気もするのだが、気のせい、気のせい・・・。
by nikko0427
| 2004-10-22 17:48
| 日光の薀蓄